1年前に投稿

熊本に行ってきた。ずっと行きたかったけどなかなか、という気持ちをまたライブに行くという名目で自分の背中を押したかたち。

お城には昼のうちに向かったものの迷子の性質がバリバリに出てほんの一部分にしか辿り着けなくて、でもいつものことだからもはや辿りつけるところまでが運命だと思っているので今回はここまでか、と思っていたのだけれど

ライブ後になんとなく惹かれて入った小さなカフェバーにてテイクアウトでラテを淹れてもらった、らそこにいた店員さんかと思ってたおねーさんが飲んでいきなよ、と言ってくれたのでせっかくだしなと相席させてもらった。

あれよあれよと話が進んで車を出してくれることになり、熊本城の外を一周することになった。10ほど上の彼女はとてもしっかりした人で、気さくで優しくこちらにとても気を使ってくれながらそれでいてそうではないようなふりをするのもうまかった。

自らをスーパーポジティブで。と語る彼女は出会って数分のわたしにたくさんを重くなりすぎないようにして話してくれた、崩れたお城を回りながら、お城について、ここがどういったところであるか、熊本城より大きな建物を作ってはいけない熊本で、なおされゆく熊本城がライトアップされることにどれほど意味があるのかだとか、自分がどうしたかだとか、周りの人たちがどうなってたかだとか、石師のおじいさんは一人しかいないのに跡継ぎがいなくて、死ぬまでになおらないだろうからいますごく頑張ってんの、だとか。

崩れた石をみて、形を調べて、番号を振って並べ直して固めて元あったところに入れ直す。途方もない話だと思う。けれどそれでも直る。直る。言葉の強さ。

タイミングだと思う。今で良かったんだよ、って言葉から、2人でこれはタイミングだったと思ったことをたくさんたくさん笑いながら、笑い事じゃないこともたくさんたくさんあげてった。
なんだかすごく元気をもらったしおねーさんもなんか元気もらってしまった!はは!って笑ってくれて、またこっちきたら珈琲屋寄りな、すぐ行くよっていってくれてわたしも絶対また来るねって言ってあとは適当に別れた。

書かなかった、タイミングの話には彼女の人生観がとてもあらわれていて、自分にまっすぐあろうとしてて、とても人生に対して挑戦的だった。色んな生き方があって、色んな決断の仕方があって、あんたもそうしていいのだ、と背中を押されたような気になった。

1年前に投稿

二か月前には丸々一カ月勤務時間外のほとんど全てを寝込んで意識を飛ばして過ごしていて、一カ月前には仕事しながら延々からだの調節と稽古ばかりをして、そしてここ一カ月の間で三種の本番を終えた。密度。

一種目、二回公演プラスゲネでまあたかだか15分の作品とはいえ1日3回踊る、からだを使う病人としてではなくただのダンサーとして、周りにもなんら違和を感じさせることなく、自己の調節において自分のからだに責任を持ちきれて、
がやりきれたのが本当に本当に嬉しくて、普通のダンサーとして公演に携われたのは本当に実に3年ぶりのことで、なんていうか本当に、なんとも本当にやっとついに、というような感じだった。


三種目の本番、は街のイベントにて朝一からひたすらおにぎりを作り、色んなものを販売し、街の人が楽しく過ごせるよう配慮しながらそれを途中で抜けて即興で2人で踊る(筋書きだけがある)、しかも主宰と(メンバーならわかるかと思うけどあの人と即興で共に、というのは本当に気が狂うやつしかも見慣れた人ではなく一般の方に向けて)という健康な頃でもできる?みたいなハードさで、しかも引っ越してきたばかりの新参者、で若者だからこうここ数年断ち切っていた社交性みたいなものをかき集めてフル活動させ続けた形で夜まで、健康な人間の皮を被りきれたのは我ながらいやよくやれたもんだと思う。街の人が本当に優しかったのが心底ありがたかった。
こうして、根ざすことで、場所をつくりながらわたしは逃げ道をまたひとつ失うのだ。


全てにおいて、擬態しきれたことが嬉しかった。最後までそうあれたことが過ごしきれたことが自信になったというか、本当に少しずつではあるとはいえ、激しい一進一退、それは身体のクオリティの話ではなく生活できるかどうかレベルの体調の変動、がある日々の中でそれでも確かな前進を確認することができた。一般の人間として、活動できたことがひとと関われたことが本当に嬉しかった。同時にここまでするとその後のリターンがここまでくるということも、理解した。


からだのクオリティの話をする。
一種目にて。昔からの仲間との作品で、みんなはあの後も精力的に活動を続けていたから身体のレベルが違いすぎて悪目立ちするのではとずっと懸念していた、けど一番動けるひとに見えた、という言葉をもらって少なくとも質はつくりきれたようだということはわかって少し安心した、
実際の感覚としては正直よくわからなかった、古傷の膝のトレーニングや経歴の流れで昔から重心が本当に低く、全てを筋肉でもってコントロールして動くタイプのからだだった、のが全てリセットされたというか、重心は自ら落としに行かない限りはずっと上、当時欲しがり続けていた非力な女子たちが自分の持ち得る力だけで動くからだ、とてつもなく軽いからだ、に変化を遂げていた。
驚くほど軽く、即興に対する思考がかなり柔軟になっているのを感じた、健康と力と引き換えに望みが叶ったようなものだった、健康でなければ長編には携われないので今の時点ではわりと絶望的である。進化なのか退化なのかよくわからないけど、大きな変化というのは本当に一瞬でおこるのだな、と、グラデーションではないのだということを身をもって実感していた。いつも怪我をしては変えていったからだの持ち主のくせに今やっとここまで来てわかるという。

健康にみせる、ことをやりきることなんて自己満足で、本当はからだを一番に思うのが正解なのに心配されるのとか弱く見せるのがまだ本当に無理で、こころがそれについていかなくてってそんなこと言ってる場合でもないのにな。本当に笑い事ではないくらいあほなのだ。またからだは左が違和を唱え続けているし、酔うし眩暈も頭痛もする、肺も苦しいし熱もでてるし首は痛い。でもそんなこと言ったってしょうがないし自分の選んだことだし。
問題はそこではなくて、そうしてまでやる内容がそれでも、とまで心震えるものではないことだ。
またここからだ。考えろ。

1年前に投稿
1年前に投稿

5年前まだ髪が長い。まだ健康。我ながら腕がめっちゃムキムキでめちゃくちゃ悔しくなったのでこれを持って誓いとします

1年前に投稿

サティにラヴェル ピアノ曲に付随するイメージは雨、なんでや

1年前に投稿

考えるのがやんなってピアノ曲にまみれる、これもすきだった ¨̮

1年前に投稿

四国の海で食べたオレンジがやたらおいしくて初めてこんなのたべたなー、と思ってたらこっちでもそれっぽいのをみつけたので買ってみたらおなじっぽい タロッコオレンジとゆーやつで表面が傷んでるみたいな色をしている 置くと部屋が静物画みたいになる おすすめです

1年前に投稿

たろうさんところのさくら

1年前に投稿

何をもって、何のために、なにを目的として、何を思って、何を望んで

外国の状況すらお客さんの言葉で調べて知ってショックを受けている。状況自体にはもちろん、知らなかったし聞かなければこのままもうしばらく知らなかったことが。必死だけど、必死だからとはいえ
閉鎖的にも程がある。

2年前に投稿

中学のとき歴史の先生が好きだった。とにかく敬愛してて。かっこいいとかでもなくて寧ろ凄く目つきが悪くて漫画みたいに寝てる子にはチョーク投げるし怒るときは本気でキレるし色々ほんまに厳しくてみんなに怖がられてたひとだったんだけど、風邪をひいたとき咳を一々扉を開けて廊下に向かってするだとか
ふとしたときの丁寧な仕草とかたまに笑ってくれるその感じがすごい好きで。授業はわかりやすく黒板うつすだけでテスト勉強対策バッチリ、だけど余分に広がる話がとても面白いから授業自体は好かれてる、けどやっぱこわいって言われてるようなそんな先生だった。

わたしは単純だから元々好きだった歴史の勉強をより一層するようになって、ここ大事!みたいなことを先生が言うタイミングには何を書いてる途中だろうと手を止めて絶対先生の方を見る、と先生がその力説をそのめちゃくちゃ鋭い目でこっち見てしてくれるだとか(まず無言で黒板につらつら書いて、まとめて口頭で説明するタイプの授業だったから説明のときはみんな下向いて必死にうつしてるタイミングでだからひとりじめ)テスト後にノートを提出するから授業中必死にうつしたノートともう一冊それを元にして問題集仕様にしたノートをめっちゃ綺麗に作ってく(おかげで点数良かった)とかしてた。

当時わたしは生徒会長で、卒業生を送る送辞で悲しくなってたり苦手な挨拶だとかしなきゃで他の学生がみんな体育館に入った後、体育館入り口にある靴箱の前でひとりだと思って油断してPIERROT口ずさみながらちょっと震えてたりしてたときだとか、に何処からか現れて背中トントン。てしてくれたり教室にひとり残って仕事してたときにふらりと見に来て 大変だね。おつかれさま。って声かけてってくれたりなんか色々ほんといい先生で、でもわたしの会期中に異動になって。いいのか悪いのかみんなより早く知ったのね、花束渡す算段とかで。生徒会長だから

休みの日部活後職員室にひとり呼ばれて、学年主任からその先生、って名前が出たときびっくりして、その後主任と何喋ったか覚えてないけどとにかく失礼します、って言って廊下に出た瞬間にびっくりするくらい涙でてきたのは凄く覚えてる、その後主任があ、伝え忘れてた、て何かを伝えに廊下に出てきたからばれてたろうけどばれないように無理やり涙拭ってとりあえず笑って、はい、って言ったときのいつもとぼけた顔してた主任のすこし心配そうな表情も覚えてる。

最後のノート提出のときにいままでありがとうございました的なのとめっちゃすきでした!会長と部活とがんばります、みたいなのノートに書いておいたら、その下に
ありがとう 大丈夫、あなたならできるよ
、って問題ノートだったからだと思うけどたぶん消せるようにって配慮で鉛筆で書かれてた。

結局先生に花束渡すのはわたしじゃなくて、その先生が今どこで何してるのかもわからないしわたしは最後にって撮ってもらった2ショット写真を実家のどこに残してるかすらわからないみたいなあれなんだけど、でもたまに先生のあのひっくい声だとか大丈夫、あなたならできるよ、のあの鉛筆で書かれた字を次のページに残った筆圧を思い出す。